後藤寿庵顕彰会(John Goto Honoring association)

後藤寿庵とは

後藤寿庵像(カトリック水沢教会)

後藤寿庵像(カトリック水沢教会)

後藤寿庵は、400年ほどまえの戦国時代の終わり頃から江戸時代初期に実在したキリシタン武士です。奥州の覇者、伊達政宗の家臣として胆沢平野(岩手県奥州市)に灌漑水路を築き、荒れ地であった一帯を沃野にかえるなど、胆沢平野開拓の祖として現代まで語り継がれてきました。しかし、キリシタンだった寿庵は切支丹禁教令により奥州胆沢の地から逃れていきました。その後の切支丹弾圧とともに寿庵の足跡を証明する資料はほとんど残されていません。どこで生を受け、どのような生涯だったのか、その多くは謎に包まれたままです。 近年、海外に遺された当時の宣教師の書簡が翻訳され、かすかながら寿庵の実像が明らかになってきました。

■寿庵の生涯

寿庵がどこで生を受け、どこで没したのか、それを裏付ける確たる史料は残されていません。しかし伊達政宗の家臣が遺した文書には、幾度か寿庵の名前が見いだせます。寿庵が歴史に名を留めたのは、伊達政宗の家臣として奥州胆沢見分村の領主として着任してから、キリシタン弾圧で姿を消すまでの12年間の歴史でした。

慶長16年(1611年)、京都の商人田中勝介と知り合い、その推薦によって、支倉常長を通じて陸奥国の戦国大名・伊達政宗に仕えたとされています。

慶長16年(1611年)、見分村(岩手県奥州市水沢区福原)の領主として1,200石が給されていました。一方で寿庵は、伊達政宗が欧州へ派遣した「慶長遣欧使節」の実質的な責任者であったことが海外に遺される宣教師の書簡で明らかになりました。当時としては画期的な日本人の海外使節団の実務者としての寿庵の姿も浮き彫りになりつつあります。大坂冬の陣・夏の陣では、伊達政宗の配下として鉄砲隊の隊長を務めています。このとき寿庵は豊臣側で闘っていた多くのキリシタン武将の子どもを仙台へと逃しています。その時の一人、明石掃部の末裔は、国連事務次長を務めた明石康さんです。

大坂の陣が終わると寿庵は領地見分村の開発に着手します。当時見分村の一帯は「アラビアの砂漠の如し」とイエズス会宣教師が評したほどの荒れ地であったと考えられています。寿庵は農業用水の必要性を痛感し、灌漑水路の建設に着手しました。奥羽山脈から雪解け水が大量に流れ込む胆沢川から水を揚げ、胆沢平野一帯へと水路を建設する大事業でした。この工事にあたって寿庵は私財を投げ打ち、方々から借金をしました。その一方で寿庵は領地の農民への年貢を4割も減らすと言う大規模な減税策「寿庵引き」を行い、仁政の領主で領民たちから深い信頼を築きあげました。

元和7年にパウロ5世に送った寿庵の「奉答文」(ヴァチカン図書館所蔵)

一方で、寿庵は熱心なキリシタン領主であったため、教会を建て、領民たちと信仰を共に深めていきます。家臣らのほとんどが信徒となり、全国から宣教師や信徒がこの地に訪れたといいます。しかし幕府のキリシタン禁教令とともに寿庵への迫害も始まりつつありました。元和7年(1621年)、奥羽信徒17名の筆頭としてローマ教皇パウロ5世へ奉答書を送りました。これはヴァチカンのサンピエトロ大聖堂の完成を祝して全世界の信者へと発した贖罪の勅書に対する信者の感謝の手紙でした。この奉答書は今もヴァチカン図書館に保存されています。

 

徳川幕府3代将軍・家光の時代になるとキリスト教の禁止がいっそう厳しくなり、伊達政宗もその取り締まりを命じられました。寿庵を惜しんだ政宗は、布教をしない・宣教師を近づけないことを条件に信仰を許そうとしましたが、寿庵はあくまでも信仰を守り続けることを決意しました。元和 9年( 1623 )11 月 4日、寿庵の教会(福原)でカルワリヨ神父によって最後のクリスマス(降誕祭) が行われました。このとき寿庵が進めていた水路の工事は道半ばでした。しかし寿庵には時間が残されていませんでした。政宗の命を受けた兵が寿庵を捕縛するため仙台から発していたからです。その後寿庵はいずことなく姿を消し去りました。寿庵の足取りはここでプツリと途絶えます。

寿庵が工事を行った当時の石積

寿庵が工事を行った当時の石積

その後水路は寿庵の意志を受け継いだ農民たちによって再開されます。

5年に渡る大工事の末、全長20キロもの水路は完成しました。現在、奥州胆沢の地は全国有数の穀倉地帯として生まれ変わりました。地域の人々は今も寿庵の恵みを受け続けています。そしてその水路を「寿安堰」、「徳水」と呼んで寿庵に感謝の念を持ち続けています。

 
寿庵廟堂(水沢市福原公園)

寿庵廟堂(奥州市水沢区の福原農民公園)

大正13年(1924年)、治水の功により従五位が贈られました。昭和6年(1931年)には地元農民の手により寿庵の館跡に寿庵廟堂が建てられ、毎年春と秋に寿庵祭が行なわれています。

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